ヨーロッパ諸国もヤード·ポンド法を使っていると錯覚してしまうらしい

しかし当時の工学などは

この時、採石の現場から幾つかの記録が発見されて、その記録からこの下に複数の町が眠っている事が決定づけられたのでした。1748年ブルボン家が統治していた頃、最初の発掘が行われ、その後1860年本格的な発掘が行われました。ポンペイの壁画が豊かな色彩を失わなかった秘密は、この街を襲った悲劇にあったのです。西暦79年、町の北西10kmにあるヴェスヴィオ火山の噴火により押し寄せた火砕流や有毒ガスが、ポンペイの人々の命を次々と奪っていったのでした。瞬にして5メートルの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が、当時の人々の生活をそのままの状態で保存したのです。

コロッセオよろしく血で血をあらう剣闘士同士の殺戮ショーが好まれた地中から次々と現れるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕したのですが、その美しさの秘密は実は火砕流にあったのです。火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収したのでした。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたのです。ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになったのでした。ポンペイは建造物や街区が古代ローマ当時のままの唯一の町として知られています。

 

フィレンツェや

それどころか日本から来ると小型車·軽自動車が狭い道路をびゅんびゅん走り回っているのに肝を冷やすことになるイタリアの都市は生活の中に歴史が生きている町で、ミラノも例外ではないから、都心部は由緒ある建物に囲まれた迷路のような一方通行の連続である。しかも殆どの道路が路上駐車で一杯だから、小型車がこれだけ普及するのもわからないではない。もちろん理由はこれだけではなく、特に都市部は車の税金が高いとか、ミラノ·ロマ·ナポリの三大都市は盗難の比率が高いので保険金も他の地域に比べて高いとか、会社の社有車として経費で認められるのは排気量二千CCまでと言った様々な現実的理由がある。二千CCを越える車は税金もいきなり高くなるので、ミラノで大型車を持つことはその経済的負担を考えると大変な贅沢になる訳である。かくしてベンツやBMWなどでは大型の車体に二千ccのエンジンを搭載した、日本ではお目にかかれないような車種がポピュラーという珍現象も起きてくるのだ。イタリアで被害にあう日本人が多いせいなのか中小企業の多いファミリ日本だったらフェラーリも社有車として経費で認められるかも知れないが、如何にカンパニーでもこれは無理なようで、そうそう簡単にフェラーリを拝める機会には遭遇しないのである。ちなみに、フェラーリの発表によれば一九九六年の総販売台数は三三七〇台で、その内イタリア国内で売れたのは四三五台。最大の市場である北米(アメリカ·カナダ)では七五0台、ドイツが五五0台、日本が二五〇台という事だから、イタリアにはまだまだお金持ちが沢山いるという事なのだろう。ー.ミラノで車を持つことは、なかなか負担が大きい訳だが、一方で日本のように車庫証明などという制度はないので、購入の時の手間暇はそれほどではないし、車検も十年間はなし。十年を越えると毎年車検が必要とのことで、運転免許証の譜き換えにミラノの郊外にある運輸省の免許証センターに行った時、年季の入った車(もちろん全て十年超)が車検を受けるためにずらっと列を作っているのを見てびっくりしたことがあるつい最近まで日本車に対する輸入規制があったせいか、他の欧州諸国に比べると日本車の比率は少ないが、かと言って実際に町中を走っているのがイタリア車ばかりという訳でもない。

    1. イタリア中部のウソブリア州には
    1. 聞こえてくるのは当然
    1. 国政のかじとりを行う元老院

シエナの大司教になった高徳の清い人物

モナリザとメディチ家定説によると、モナリザのモデルである女性は、1479年にフィレンツェで生まれ、16歳のとき、フランチェスコ·デル·ジョコンドという金持ちの商人に嫁いだそうです。つまりダヴィンチがモナリザを描き始めた1502年、彼女は23歳から24歳だったことになります。そしてダヴィンチはこの作品を完成することはなかったと言われております。また、モナリザの背後には2本のギリシャ円柱が描かれていたそうです。そして下記の写真が今フランスのルーブル美術館にある、そして日本へやってきた3,0モナリザです違いに気づかれたことでしょう。
ローマ人の領土もこの頃から各地に拡大してくる

ミラノ生まれの我が次女里奈も生後2カ月ほど経った頃から

これがモナリザの謎となるのでした。なぜならばルーブルのモナリザは完成品であり、そして女性はどうみても30代から40代、さらに背景には糸杉が描かれているではありません実はもう一人、モナリザのモデルと騒がれる女性がおります。それはアイルワースのモナリザと呼ばれるものです。アイルワースのモナリザの背景には二本のギリシャ円柱が描かれ、さらにどう見ても20代の若い女性、そして未完成品なのです。1517年、フランスのフランソワ一世の宮廷にいたダヴィンチを、アラゴン枢機卿が訪れたとき、ダヴィンチは枢機卿に自分の作品数点を見せました。