ミラノのファッション業界の女性などを除けば

ローマのスペイン広場を思い起こさせるなだらかに広がる大階段

イタリア人戦士たちの鼓動が聞こえてくる気がした
ローマ人に征服されるのは紀元前二九0年

更に複雑な手口としては、何人かが車に乗って歩行者を止め私服警官と覚しき態度と身分証明書で相手を油断させ、偽リラ札のチェックをすると称して財布の中身を改めるとう例があり、日本人が被害にあっている。しかも財布をチェックしている間にキーか何かを落とし、被害者がそちらに気を取られた瞬間に紙幣を何枚か(直ぐには判らない程度に)抜き取るという芸の細かさ。ここまでの演技力を見ると泥棒もプロの職業として立派に成り立っているのは間違いないのだろう。イタリアでは休みをたっぷり取ることは世界中に知られており、事実,八月ともなれば多くの会社は一週間から三週間完全にクローズしてしまう。スーパーこそやっているが商店もレストランも多くは休業となる。

ローマ帝国初代皇帝はこのアウグストゥスなのです

(九六年八月の新聞記事によればミラノ市内の個人商店の八十%近くが閉店するとのことだったが、EUの一員として他の欧州諸国との経済的関係が強まるにつれ、その比率は毎年減少しているようである)。驚いたのはラジオのローカルニュースまで夏休みに入ってしまうことで、毎朝洗面の時に聞いていたローカルニュース(天気予報、交通情報等地元密着型で重宝している)が、七月中旬に突然ナツメロ番組になってしまい、一体どうなってしまったのかと思っていたら九月に入った途端に復活したこともあるこの時期はミラノの町中も閑散として、日頃両側をびっしりと路上駐車で埋め尽くされた道路も広々としておりいつも車で三十分もかかる道のりが十五分で着いてしまう程である。会社の休みに自分の有給休暇を加える人も多いから、個人ベースではまるまる1カ月休みという人も珍しくない。東京でもお盆の前後数日間、町中が閑散とし店も軒並み休みになるが、イタリアではあれが一月近く続くと思えばよい。これだけを見れば、やはりイタリア人は働かないのかと思われてしまうが、もし本当にイタリア人が働かなかったら、どうやってこの経済活動·生活水準を維持して行けるのだろうか。

とくに一九九〇年に世界遺産に登録されてからは

三千六百四十四メートルのビクの先には広々とした雪原が広がっており、リュックの上に座り込んで近くの山をスケッチ。カメラは持ってきたのだが、フィルムを売っている所がなく、空のままなのだ。気温は低いが素晴らしい快晴で寒さを感じない。登山者が次々と登ってきてはあちこちで記念撮影。ビデオを持ってきたグループが撮影しようとしたら、バッテリーが切れたと騒いでいたから、同じ様なことがあるものだ。

ミラノはスキーヤーにとってはパラダイス

頂上で見ていると、氷点下の気温なのにショートパンツのまま登ってくる連中もいるし、寒さと高度にも関わらず賑やかに話しながら登ってくるグループもあって相変わらずイタリア人は元気が良い。この日登っていた日本人が私一人だったせいか、頂上では「富士山と比べてどうかね」などと質問され、改めてアルプスを登ったことに気付いたのも何だかおかしな感じであった。意外に知られていないのだが、ミラノはスキーヤーにとってはパラダイスである。もちろん、札幌や長野に比べればスキー場までの距離は長いが、ヨーロッパの大都市で片道11時間もあればアルプスのスキー場へ直行出来るところはそう多くはない。同じ北イタリアのトリノはアルプスの山麓だから例外としても、このアプローチの良さはスイスのチューリヒやジュネーブ、南ドイツのミュンヘンなどと比べてもひけは取らない。

盾に丸薬が幾つも付いたメディチ家の
イタリア人の間にこの習慣を広めたのかもしれないが

ミラノに来てから数カ月後のある夕方

イタリアのサイトの左側にあるでも確かにいる”のです。それが神です。その神を”自然”と呼ぶ日本人はいるけど、でも、神はもっと目に見えないものだと僕は思う」「そうね、マルコの言っている意味はなんとなく理解できるわ。それから、もう一つ聞きたいのだけれど、ポンペイ近くの教会の遺跡で発見された回文があるの。それは二五文字でできていて、左右どちらから読んでも、また上下どちらから読んでも、また逆さまに読んでもSATORAREPOTENETOPERAROTAS”と読めるものなの。

こんどこそはローマの軍人や貴族

このことにっいて何か知っている?」「僕はその回文の話、興味があって随分前に少しだけ調べたことがあるけど、ポンペイにあったのは知らなかった。結局何なのかはまだ謎なんだ」「私、そのポンペイの遺跡近くで見つかった回文のそばに”雄牛を屠るミトラの像”があるって聞いて、それと何か関係があるように思えてならないの「あ、その彫刻ならミトラ教のシンボルだよ」「ミトラ教?「ミトラ教は、紀元前一世紀頃から紀元五世紀頃までローマ各地で広がっていたんだ。キリスト教徒との戦いに敗れてミトラ教信者は殺害されてしまったけどね。もちろんミトラ教の神殿も破壊された。当時のキリスト教徒はそのミトラ神殿の上に教会を建てたから、今でも教会の地下にミトラ教の遺跡が残っていることがよくあるんだ。