こちらも3度目の結婚をなすアグリッピーナ

ローマへの途についた

この技術がセッテベロにつながっているのだがそして今のローマの南東の郊外に落ち着きます。なんとこれが古代ローマ建国。ローマ帝国発祥の地アイネイアスはたぐいまれな美男子。この美男子のとりこになったのが、ラッチィオ(今のローマ周辺の州、ラッティオ州)の王女ラビニア。やがて二人は結婚しアイネイアスから8代を経て74リウスとヌミトールという二人の王子が誕生します。

ローマ時代の遺跡と中世の建物中世の面影を十二分に残しているこの町は

兄弟で王位を争うのはどの時代もどの国でも同じこと。兄のアムリウスは弟ヌミトールを追放して王位に就きます。ヌミトールの娘、王女レアは軍神マルスと結ばれます。この二人の間にはやがてロムルスとレムスという双子の男の子が生まれます。後継者争いを避けたいアムリウスはこの双子の赤子の殺害を計画します。金持ちはプール付きの豪邸で暮らしていたのでした

イタリアのセリエAは8月下旬から9月初めにシーズンが始まりローマ帝国滅亡後

もちろん彼らは鱗のない海洋物は食しません。聖書で禁止されているのです。その彼らが経済を牛耳るアメリカ。これが、外国の方はタコなど絶対に食べない!!·たこ、イカの墨??とんでもない!という説がある理由なのです。企業化の才能。

フィレンツェを離れていった

イタリアでのショッピングは専門店で会話を楽しみながら
エジプト、ギリシャの学者が数学技術、天文学を発明します。それを,般化して絡み合わせてカレンダーにしたのがローマ人。これぞ文明化建築面においても下記に見るようなアーチヴォールドと言われる強固な建築技術を発見したのはエトルリア人。そしてもともとエトルリア人が定住していたその地を制覇したのがローマ人。これが故に彼らの技術を採用し活用したローマ建築。
ナポリ近郊で

フィレンツェも同様に

そして残された東ローマ帝国。のちにビザンチン帝国と名を変え、ローマの文化を受け継いでゆくのでした。そして440年、ローマ司教レオ1世が、ローマ司教の首位権(教皇権)を主張する。その後、西ローマ帝国には西ゴート族が攻め入り占領。さらにゲルマン民族の大移動により476年西ローマ帝国崩壊。

ローマのすごいところ

ここは休み時間もなく昼から夜までぶっ通して開いていたり
また大地震のため、町の中心地であったフォロロマーノなどの破壊が始まります。そしてキリスト教を擁護しはじめた時代、流行に敏感な貴族たちが教会、修道院をつくるためにこのフォロロマーノなどの神殿や宮殿を破壊し、さらにもともと沼地に創られたこれらの遺跡。崩壊とともに土砂、がれき、ゴミで埋もれ始めるのですそして1803年、フランスのナポレオン時代に軍により発掘が始まるのでした。これが、下記の写真のトッレアルジェンティーナ(シーザーが暗殺されたところ)などが今)地上より地下に存在する理由なのです。大理石をはぎ取り、建材として使用し始めたのです。